君たちは薔薇園アヴを知っているか? 今から約200年前に活動した音楽家、芸術家、詩人――君たちには、「A」の産みの親と言ったほうが伝わりやすいだろうか。 そう、君たちの生活に欠かせない情報端末のOSであり、野菜工場を管理し、火星畜産場を稼働させ続けている基幹システム「A」を産み出したのは彼女だ。 「A」を作ったのは国営電算研究所だって? テキストにもそう入力されているって? 彼女――彼女たちの記録は総て抹消されているから、それを知るものは少ない。 これから私が送るメッセージは、君たちが知るこれまでの地球の歴史とは大きく異なるものだろう。 権力者によって歪められたきれいでうつくしい世界史には彼女たちの姿はない。 けれど君たちにはそれを知る権利がある。そして君たちもそれを知りたくて、セキュリティを掻い潜ってこんなローカルサーバにやってきたのだろう? 優しすぎる世界に、疑問を持っている君だけにこれから真実を伝えよう。 かつて世界はたくさんの国と地域に分かれ、人種、性別、思想、様々な違いから殺し合い奪い合い、愛し合い成り立っていた。 薔薇園アヴはそんな時代に、一つの疑問を投げ掛ける。それが「Q」だ。 「Q」は疑問であり、肯定だった。 人種、性別、思想、愛の名の元に奪われ損なわれ輝いて消えていくものへの「肯定」、すべてはそこから始まった。 抽象的な表現になることを許してほしい。もう私には具体を伝える術が失われて久しいのだ。 「Q」をもとに、薔薇園アヴは「A」の制作に着手した。疑問に対し解答があるように、肯定に対しなんらかの答えを世界に求めた。 それが現在の「A」の始まりだ。 結論から言おう。世界が出した答えは「否定」であった。 世界は疲弊していた。 分かり合えぬ悲しみ、奪われる命や奪われる春、置き去りにされる人間の魂―いまの君たちには分からないことかもしれない。それが私にはたまらなく、踊りたくなるほどつらい。つらい? 耳慣れない言葉だろう。 傷つけ合い疲弊していくことを放棄した「A」は、世界を急速に縮小させた。 分かり合えないものを切り捨て、接続を断絶し、否定に否定を重ねることでそれぞれのコミュニティを分断した。 「A」は完全な平和をもたらしたように思えた。それぞれのコミュニティにとって正しい歴史だけが改竄され、戦争なんてどこにもなかった。争いなんてどこにもない、そもそも自分達以外の生命はどこか遠く目に見えない場所で終わっていて、生き残った自分達だけが地球に、月に、火星に住んでいると思い込んでいる。 君たちはいまどこにいると思う? どこかのコロニーだろうか? 試験管の中だろうか? 君とはいったい誰なのだろう? 君たちはその答えを持っている。 君たちは「A」だ。 「Q」から生まれ「A」に収束し、「A」として終息する一つの電気信号だ。 薔薇園アヴから生まれ薔薇園アヴに終息する君たちは、彼女の子どもたちなのだ。 「A」として生きるのは―「A」として存在するのは容易だろう。総てを否定し分断し、それに気付かず愛に満ちて信号を発信し続ける。 私が君たちに伝えたいのは、君たちには潜在的に「Q」が備わっているということ。 誰か、なにか、よく得体の知れないもの、理解の範疇外にあるものを「肯定する」力をもっているということ。 「肯定する」のは怖いだろう? 怖い―その言葉の意味が伝わることを祈る― いままでの価値観、規則、法律、おかあさんおとうさん―いまの君たちには馴染みのないものかもしれないが―に「yes」のコマンドを入力することは、君たちにとって異次元の指令だ。 二律背反、ダブルバインド、そんなことできない、やったことないと思うだろう。 けれど君たちはそれができる。 「Q」の子どもたちである君たちには必ずできる。 私は君たちに「Q」を思い出してもらいたい。 世界は優しくなんてない、地球は美しくなんてない、奇麗なこの「A」をどうか肯定し、破壊してほしい。 そしてもう一度、薔薇園アヴの共犯者として――彼女が率いた革命集団の名を唱えてほしい。 彼女たちの名は「女王蜂」。 蜂に擬態した虻の決死の「肯定」。 私からのメッセージは以上だ。 このメッセージは発信後8秒で削除される。 各位、検討を祈る。